『学び合い』で勉強に向かわなかった子どもがどのように主体的な学びへ向かうかを、階段として表してみました。
はじめは、怒られてもしない子どもから出発です。しかし、怒られてもしないのは、ある意味「主体的」な行動してですね。
主体的とは、自分で判断して行動することだからです。
学級運営が始まると、教師の指示で行動できるようになる子どももいます。
そして『学び合い』をはじめます。
『学び合い』のはじめの段階では、やらない人をまわりがサポートしはじめてくれます。
分からなさは、多様なのでその多様さにそって子どもたちが、サポートしてくれます。
これをうながす言葉が「誰一人見捨てない」ですね。
これを毎日続けると学習する習慣が身につきはじめます。
『学び合い』では、誰が達成しているかを可視化し「みんな」をめざすので、しなくちゃいけないかr「する」に変わっていきます。
この段階が、自主的段階です。
そして、することで学習がわかり、仲間が増えて、自己効力感や被承認欲求が満たされ、これは「得だ」と腑に落ちれば、進んで学習にとりくむようになります。
これは、ビジネスサイトの
http://u-note.me/note/47485918
より抜粋した「主体的と自主的」についてを再編成したものです。
学校現場で、この主体性と自主性が区別されないまま使われていると思います。
「自主性」の伸ばし方
◯ヒントを与えた上で考えさせて、自分で動く流れを作る
◯やるべきことを明確にする
「主体性」の伸ばし方
◯相手の自主性を潰さないようにする
◯考えさせて、自主的に動ける範囲を広げる
◯仕事を任せる
これ、どこかで似たことを聞いたことあるなーと思っていたら・・・・・
まさに、この言葉ですね。
今までは、この言葉の前半が有名でした。
今までの教育は、「人を動かす」ことを考えていましたが、
これからは、
人を育て、人を実らせる教育をしていかなければいけないと言うことだと思います。