私たち人類の祖先は,体力的にも知力的にもネアンデルタール人よりも劣っていたと言われています。
それでは,なぜ生き残れたか。
動物の中でも比較的体力の弱いサルがどうして生き残れるのかを考えてみます。
サルは,集団で行動することで,危険な天敵の情報や,えさの情報を広く得ます。
一方で得られた情報をもとに集団をどう動かすかは,優秀なリーダーによって決められると思います。
一人では,ひ弱なサルも集団でいれば,一人では気が付かない敵の存在を知らせてもらえ,自分では発見できなかったえさの場所や食べられるものの判断を集団として得ることができます。
この場合,必然的に一部の犠牲があるでしょうが,それでも多くの命をつなぐことができるわけです。
このリーダーと集団にとどまる構成の仕組みが,「多様な人と折り合いをつける」を実現させていると思います。
サルは,だから,折り合いをつけて集団にとどまった方が得だということを体で覚えているわけです。
この本能の薄れた人間は,宗教や道徳によって集団にとどまる力を教え込もうとしているのかもしれないと思います。
ところで,
やたら教えたがる教師があなたの近くにもいませんか?
子どもたちを支配したがる教師がいませんか?
議論して相手も負かすことが大好きな人いませんか?
これも,人間には元来持っている,優秀だという自覚があるとリーダーを目指そうとする仕組みが組み込まれていると思います。優秀な人がリーダーにならなければ集団を守れないので,必然と言えます。
ところが,困ったことにこの「リーダーになりたい気持ち。人を従わせたい気持ち」はおおくの人が持っています。
これが,一部の教えたがり,支配したがりの教師ではないかと私は考えています。
子どもの前だけ威張っている。
後輩教師の前だけ,威張っている。
みっともないですね。私は,こんな教師になりたくないので,深呼吸をします。