なぜ,『学び合い』を数年でやめてしまう学校があるのか?
学校全体で取り組むことに成功し、大きな成果をあげているにも関わらず、数年でやめてしまう学校があります。
なぜ、そんな学校が存在するのでしょう?
停滞する理由は、
不登校や低学力が一定改善すると、その学校に来た新しい先生は,転任してきた教師には,学習規律を身につけさせ一斉指導をすればさらに学力が向上するように見えてしまいます。
人は,行動のために思考すると言われます。
つまり、自己有用感を得るために教師は何かをしたくなるわけです。
そこで,学習規律や一斉指導という、「働きかけ」をやりたくなります。
『学び合い」の考え方と真逆の手立てが始まります。
主体的に行動していた教師は,「任せられている」という信頼関係が揺らぎ,指導が入れば入るほど『学び合い」の文化が壊れていきます。
停滞すれば,堕落するしかない。
進化するために何をするか。
①これぐらいできればという教師の安心が隙を生む。より高いビジョンを示そう。
一見見えないクラスの闇も『学び合い』の熟達者には見えます。
この,クラスに潜む闇をほっておくとさらに深く潜り込み,いつの間にか健全な学級の関係を蝕んでいきます。
③個別化を目指し,その中で生き方を語れることが必要になる。
どんな、より高度な目標設定も「誰一人見捨てない」という考え方に合致しなければなりません。
『学び合い』は適度の凝集性を必要とします。
これは、コミュニティの健全化のためにも必要だからです。
この凝集性を保つためには,常にビジョンが必要となります。
教師に必要な最大の能力は「見取り」だと思います。
一見上手く見える時こそ,じっくりと見取りをしましょう。
子供たちは(人の集団は),いつも管理者に「本気」かを試そうとします。
これは,多様だからこその自然な動きです。
この試された管理者は,技術でなくこころの底から「誰一人見捨てない」気持ちを伝える必要があります。
『学び合い』の熟達者は,クラスの闇を見とれます。
学校全体で『学び合い』を進めるために,停滞させないためにはこの見とれる人が必要と考えます。
究極の目標は個別化
それぞれの子供たちが、自分らしく生きていいんだという,コミュニティ観人生観を持てるようになることが温かいクラス作りとなります。
これは,一見すると「ゆるさの見える学級」にも見えますが、お互いを尊重し,やらなければいけないことに常にやり続けようとし,常にビジョンを持った生き方のできる集団です。
『学び合い』は,人間の原型である,子供たちに教師が生き方を学ぶ姿が究極の姿だと思っています。
理想を信念で語れる教師が、それを実現して聞く子供たちにその実現の仕方を学んでいくのだと思います。
私はそうやって自分の考えを塗り替えバージョンアップして来ました。
この「学び」を言語化し伝える場があることが教師の成長に繋がります。
これは,同時に一斉学習の必要な「発問・指示・説明」の力や『学び合い』に必要な「語り」の力を教師につけていきます。
『学び合い』の進化にはこの語り合える場が必要です。
研修の持ち方など検討しください。
これが,2020年に考えた行き着いた場所です。
まだ先に行っている人には、戯言と聞こえるかもしれませんが,
今福岡で学校単位で『学び合い』を始めようとしている学校への願いです。
多くの子供たちに自分らしく自分の人生を生きる勇気を、
多くの教師に,教師としての最高の人生を、
ぜひ『学び合い』で実現させてください。