7月の物語 願い
「熱かねー。」そう言いながら西山先生が職員室に帰ってこられた。こうやって,会議が一つも入っていない日はめずらしく,みんなホッとしていることもあり笑顔でいました。
「大谷ちゃん,今度の土曜日ひまね?」
西山先生はなぜか若手の中でも僕に話しかけていただく。『学び合い』はやっていないみたいだけど,僕らの考え方にもとても好感を持っていただいているので,安心して話ができる貴重な先輩でした。
「あっはい。土曜日は大丈夫ですよ。」
「そうね,ここの校区の夏祭りがあるけん,見に来んね。」
「分かりました。時間とかは・・・」
「よかよか,俺最近ラインば始めたけんね。へへへ。あれで送っちゃるけん。」
僕は,内心西山先生は「LINEを使いたいだけじゃないの?」と思ったけど,こんなオチャメなところも西山先生の魅力だと思いました。
岡崎先生も職員室の流しのところでコーヒーを入れられていました。
「大谷先生も飲む?」
「いやー僕は,今日は・・・早く帰ります。」
「あれ?めずらしいね。デート?」
「そんなわけないでしょ。」
「いい,今度連れてきなさいお姉さんが見ちゃるけんね。」
「違います!」
僕が元気がないのは,今日の授業のことでした。『学び合い』にも慣れてきて,順調だと思っていたのですが・・・
順調なので,月末の授業参観は国語の『学び合い』を見せようと思っていたんです。それで,国語の授業で,来週の授業参観に向けて準備や練習をしていました。目標は、「『学び合い』の良さを、お家の人が納得する説明ができる。」としました。子どもたちは、一人一人が説明する内容を班で話し合って原稿作りをして,教科書を読んで内容を考えたり、発表方法を出し合ったり――。この日も暑さに負けず、授業開始直後から子どもたちは、集中して取り組んでいました。
「ねえ,教科書の発表の仕方だと,図とか使ってるじゃん。」
「うん。じゃあ,関わってくれた人を線で結んだ図とか・・・」
「分からんと行った時の周りの人の様子を絵にしたら。」
「いいねー。」
「あと,どんな人に教えてもらったらわかりやすいかとか表にまとめたら・・・」
「俺が,教科ごとに誰に教えてもらうか書こうかな。」
「いいじゃん。」
僕は,そんな会話の中で安心して,幸せな気持ちでみんなの中を歩いていました。
(あれ,なんか違う。)
教室の端っこでしばらく座っていた僕は、妙な空気を感じました。教室全体を見渡すと,何もしていない浩太がいました。
僕は,「どうして?」と思うと同時に不安がぐっと打ち寄せてくるのを感じたのです。
そばに行って注意しようかとも思ったり,いや,「周りの子を注意すべきか。」と考えたり,そうこう考えているうちに,頭の中は,来週の授業参観で、ぼーっと突っ立っている子が何人もいるかもという不安でいっぱいになりました。
「いや、待て。『学び合い』を始めて3ヶ月。今までもこんな事あったけど、解決していたじゃないか。ここは、子どもたちに任せよう。子どもたちを信じるんだ。」
「信じる。」「信じていない。」「信じよう。」「信じられない。」授業参観というプレッシャーは,とても大きかったです。今では,『学び合い』は正直僕の宝物です。授業参観で保護者の方に何か言われたら・・・・
浩太君は,お母さんと二人で暮らしています。お母さんは,スーパーのレジを朝から夜遅くまでされています。生活はきっと裕福ではないけど,授業参観には,必ず来ていただいていて,そんなお母さんをもし不安にさせるような授業を見せてしまったら・・・・
そんなことを,考えてしまっていました。
気が付くと、30分が経ったことを知らせるタイマーの音が流れていました。「浩太君の名前プレートは・・・」ゴールの場所に名前プレートはありませんでした。浩太君と仲のいい数名は,何もすることもなくそのまま終わってしまっていたのです。僕は、自分の顔が熱くなっていくのを感じました。目の前で起こった事実をなんとか受け止めようともがいていたのだと思います。
「多くの子どもたちは、頑張っていた。原稿を書いていた。模造紙にまとめていた。しかし、何もできなかった子どもも少なからずいた。その子たちは、誰ともかかわらなかった。」
「なんと,言えばいいんだろう。」そう思って,僕は,教卓の前に立ち尽くしていました。
静かに,ゆっくりと,子ども達に語りかけました。うまくいっていると感じていた時の自信なんてひとかけらも残っていません。不安と,どこから来るかわからない悲しみと,でも,一生懸命話しました。
「4月に,6年2組の学級目標をみんなで考えて作ったよね。それ、みんな言えるよね。」
「「誰一人見捨てない心で福岡市一のクラスになって卒業しよう。」」
みんなが言い終わらないうちに、次の言葉が出ていた。
「今日の学習では,分からなくてポツンとしていた人がいた。」
「・・・・・」
「来週みんなは,家の人に『学び合い』は全員がわかるようにする学習です,なんて説明するんだろうけど,今日の学習は,本当にそうなるようにやるっちゃろうか?」
クラスのみんなの顔が静かに僕を見ていました。
「先生はね,来週,一人一人がお家の人に『学び合い』のこと説明できると思っています。それって凄いことなんよ。だから、とても楽しみにしていました。・・・でも、今日の40分はとても辛かったです。」
(だめだ。もう話せない・・・。)
子どもたちの顔を見るのも、もう辛い。
「今日は、これで終わろう。帰りの会はもういいです。帰りの用意をしてください。」
子どもたちは、帰りの用意を始めました。
そのとき,椅子に座っている僕の前に、 鈴木さんと真理亜さんがやって来ました。
「先生,お話があるんですが・・・。」
「どうした?」
「明日,国語をする前に,今日のことをみんなで反省会をしてから『学び合い』を始めたいので時間をください。」
「えっ?」
とても驚いきました。今までも,なんか子どもたちを追い詰めて,クラスのリーダー核の子が何とかしようと言い出すことはありました。でも,それは言い方は悪いけど茶番劇なんです。『学び合い』を初めて,そんなことを感じていましたから,そんなことを期待して語ったわけでもありませんでした。僕は,正直不安で,小さなとき作ったレゴブロックの大きな工作をボロボロ壊されたような気分だっただけですから。
目の前にいたのは,いつもケラケラ笑っている鈴木さんです。そして真理亜は,本当に勉強が苦手で,『学び合い』でみんなと一緒に学習ができるようになったのを喜んでいた子です。それまでは,ちょっと不真面目な面を多く見ていた真理亜さんたちが,真剣な目で僕を見ていました。僕は、顔を上げて、子どもたちの顔を見ました。何かを決意した目。自分たちの力で何とかしたいんだなという真剣な思いが伝わってきました。
「わかった。明日,国語は 1時間目だから、はじめにそれをやっていいよ。でも,今の話は、みんなに分かるように提案してくれる?」そういうと二人は,自信に満ちた笑顔になりみんなの方を向いて話し始めたのです。
「ちょっと、みんな聞いて!」
帰りの準備をしていた手が止まり,みんなが席につき始めました。
「明日,朝の会で今日の反省しようと思います。」鈴木さんの自信に満ちた声に僕はハッとさせられました。
「今日の6年2組は,本当の2組じゃないと思うんです。だから,明日の朝の会の後に,みんなで話し合いをしましょう。」
「真理亜もなんか言って。」
「・・・・・・・」
鈴木さんは,真理亜さんが言い出すのをそっと待っていました。そしてみんなも待っています。
「私,勉強苦手だったでしょ。お母さんも勉強嫌いだったらしくて,いつも学校の勉強なんかどうでもいいとよ。とか言われてたの。でも,昨日話したの。勉強楽しいよ。最近学校でみんなで一緒に勉強してるのって言ったの。そしたらお母さんが,私の子どもが勉強好きね。うれしいね。って言ってくれたんです。だから,今度の授業参観で・・・」
真理亜さんは,少し泣いているようでした。
言葉のでなくなった真理亜さんに代わって鈴木さんが話しました。
「だから,反省会しましょう。いいよね!」
鈴木さんのいいところは,何といってもこの笑顔です。この笑顔があれば何でも乗り越えられるような気持ちにさせてくれます。クラスのみんなもサーと笑顔が広がりました。
いいえ,たぶん一番勇気をもらったのは僕だったかもしれません。
次の日の朝,私が職員室で授業の準備をしていると,昨日の二人がやってきました。
「お!おはよう。どうしたの?」
「先生,昨日の反省会を多目的ルームでしたいんですが。」
「どうして?」
「みんなで円くなって話したいんです。」
「『円くなって話し合う』だって?!」
子ども達は、覚えてくれていたんです。
4月,学級開きも間もないある日。僕は教室の机と椅子を全部後ろに下げさせて,みんなを床に円く座らせました。
「今から6年2組のクラス目標を話し合います。これから、クラスで とても大切なことを話し合って決めるときには,今みたいに円くなって座って,全員の顔が見えるようにするからね。みんなの顔を見ながらじっくり話そう。」
こうして、みんなであーだこーだ言いながら、時間をかけて今のクラス目標ができました。そして,掲示物もこうやって子どもたちが全部作っり今も教室の前に飾っています。しかし,それ以降,「円くなって座る」ほど大切なことを話し合う機会はなかったように思います。子ども達は、僕が思っているより,もっともっと本気だったのだと知りました。
「ありがとう。じゃあ、後はお願いね。先生は,君たちを信じる力が弱っていたよ。ごめんね。きっと君たちならクラスをいい方に向けてくれそうな気がします。お願いしますよ。」
そして, 朝の会は,健康観察だけして,子どもたちは多目的ルームに集まり,円くなって座りました。
僕は,「あの時以来だな。」とこのクラスのスタートを思い出していました。
黙って部屋の隅に座り,僕のことなんか気にしない様子で鈴木さんと真理亜さんが司会になって話が始まりました。
「みんなね、昨日、『学び合い』が上手くいってなかったやん。やけん、今からみんなが思っとることを言ってもらうけん。」
「私は、自分のことしかやってなかったのが悪かったと思います。」
「もっと、周りを見ていれば良かった。」
少しずつ子どもたちの話が出てきた。
「・・・・。」
輪の中には、自分の気持ちをうまく言い表せない子がいます。
それでも、みんなじっと待っていました。
急かすわけでなく、子どもたちは、その子の考える時間をじっと待ってあげていました。
浩太くんの番になりました。みんながやさしい目で浩太君を見つめています。
「・・・・ちゃんとすれば良かった。」
この言葉が出たころには,だれからともなくどんどん意見が出ていました。
「班の中で、早く終わっているところが、分からん人の所に行ったら?」
「班から一人出て、教えるのは?」
僕は,子ども達から少し離れて座り,時折,窓を開けたり閉めたりして,ただただ子ども達の邪魔にならないように、静かに見守っていたのです。
「じゃあ,こうれで行くよ。」
その結論はちょっとマンガみたいでした。
「絶対!誰一人見捨てない心で福岡市一のクラスになって卒業しよう。」
30分近く話して,4月に話し合った学級目標に絶対!が付いただけです。
そのこともおかしくて,でも子どもたちの力でこうやってクラスを立て直していくみんなを見て本当に幸せな気持ちがあふれてきて,僕も笑顔でいっぱいになりました。
「君たちは本当に素晴らしい。こんな6年生いないよ。でも、国語の時間は残り30分だ。みんなが説明できるように今日も頑張ろう!」
すぐに子どもたちが動き出します。
「どこが分からんと?」
「何を言えばいいか、全然分からん。」
「だけん、『学び合い』の良いところよ。」
「うーん・・・。「分からん」って言える所?」
「そーそー!」
「そういうのをノートにどんどん書こう。」
「分かった。」
浩太たちも頑張っていました。
授業参観でも僕は,いつものように教室の隅に立ったり,みんなの間を歩いたりしていました。
浩太君のお母さんが,僕に話しかけてきまし。
「先生,ありがとうございます。あんなに,一所懸命な浩太初めて見ました。」
「いえ,僕の力じゃありません。みんなのおかげです。」
「いいえ,先生のおかげです。浩太は,このクラスで幸せです。」
「ありがとうございます。」
僕と,浩太君のお母さんの会話を盗み聞きしていた鈴木が僕の顔を見てにっこり笑ってくれました。
その時,真理亜さんのおかあさんが話しかけてこられました。
「大谷先生,私もこんなクラスで小学校行きたかったー。」
真理亜のおかあさんは,そう僕に笑いながら言っていました。ふと真理亜さんのお母さんの顔を見ると,涙が流れていました。
懇談会で,僕は今日までのことを話しました。
「―――そして,そのまま今日の授業参観につながっていったのです。子ども達の素晴らしい発想,行動力、優しさに本当に感謝しています。雨の中皆さん来ていただいてありがとうございました。」
また一つはっきり分かったことがあります。「誰一人見捨てない」のは,僕ではなく,子どもたち一人ひとりなんだと・・・・
西の空を見上げました。もうすぐこの雨もやみそうです。
次の日は,西山先生と約束していた地域のお祭りでした。博多山笠と比べれば小さいけれどこの団地のどこに置いてあったのか立派な神輿がありました。
「大谷ちゃん。ようきたね。」
西山先生はもう法被姿で,僕にも法被を渡してくれました。
「千代松さん,この人が大谷先生。なかなかいい先生でね。」
「そうね。よかよか。みんなで盛り上げんとね。先生もここの地域の人やけんね。元気出して担いでちょうだい。」
千代松さんは,この地域の自治会長を長くされている方で,この山笠も新しく入ってくる人が増えたこの地域をみんなでいい街にしようと考えられてはじめられたそうだった。
神輿を担ぐ前に神社で博多祝いめでたをうたいました。
そして,担ぎ始めると沿道の人たちが担いでいる僕たちに容赦なくバケツの水をかけ始めました。西山先生は眼鏡が吹っ飛びそうになり,僕ももうびしょ濡れでした。
西山先生は,水をかけられるたびにいつものがははははという笑い声をあげ
「よかろうがこの街」と言われていました。
郵便局の角を曲がると真理亜さんのおかあさんがバケツを持っていました。
「大谷ちゃんいくよ!!」
僕の顔面に,勢いよく水をかけてきました。
水を力強くかけられるたびに
「あなたも,この街の一員よ。仲間よ。」
と言っていただいているように感じました。
千代松さんが言われてました。
「みんなで,もりあげんとな。みんながいいとばい。」
空には,入道雲がのぼり真夏の日差しが僕たちに降り注いでいました。
これが,7月の物語です。