6月の物語 「わかる」
放課後の職員室は,先生方の色々な会話が漂っています。
「ねえ,土日に宮崎行ったのよ。美味しいから食べて。」そう言いながら誰かがチーズ饅頭を出します。
「どうしてなんですかね,何度言ってもやっぱり宿題出さないんですよ。」
誰かがコーヒーを入れながら話していました。
「どうも,お父さんが関わってないんじゃないですかね。」どこからともなくそんな話声も聞こえました。
教頭先生が2年生の先生に,喧嘩で窓ガラスが割れた件について報告するように言われています。どことなくみんなつかれ「やれやれ」といった空気が放課後の職員室の雰囲気でした。
そんな,いろんな学年の会話を何となく聞いていたら,岡崎先生も子どもたちを帰して職員室に戻ってこられました。
職員室の僕の隣に座られて,引出しから大好きなせんべいを出されて,「ん?」といって僕に下さいました。
「昨日ね,娘に「今年は違うね。なんか楽しそう。」って言われちゃった。」
昨年も,この学校におられたのに僕はそういえば岡崎先生のことを何も見ていなかったように思いました。
「私ね,退職までたったの4年よ。あと15年ほしいな。やりたいこといっぱい。」
「僕は,えーっと,あと30年以上ですね。」
「あははは,いいね。あと30年もあるんだ。去年は,毎日毎日家で「もうやめたい。」「もうだめだ。」「明日やめる。」とか言ってたんだけどね。」
「へー,岡崎先生がですか?」
「そうよ,若いころはこれでも,同和教育で頑張ってたのよ。同和教育って知ってる?」
「大学で,少しだけど習いました。同和対策事業特別措置法とかそんなのを」
「ん,まあそうだけど,地域に行って勉強会したり,地域の人の話を聞いたりして,見捨てちゃいけない。この人たちのために・・・そんな思いで一杯で頑張ってたのよ。」
「へー,そんな先生だったんですね。すごいなー。」
「だからさ,『学び合い』グッと来たのよ。だって「誰一人見捨てない」って前面に出して宣言してるんだもの。しかも,子どもたちがよ。」
最近,こうやって放課後に岡崎先生のお話を聞くのがとても心地よいと思えるようになっていました。
正直,僕なんかと立ち位置が違うというか,先輩の言葉に教師でいようとする揺るがない意思みたいなものを感じてならなかったのです。だからこそ,そんな先生と毎日クラスで起きる,素敵な物語を話すのがとても好きでした。
この人は,きっと出会うべくして『学び合い』と出会われたのだと思いました。
子どもたちのこと,子どもたちの人生,子どもたちの未来について本気で悩まれた日々があるからこそ,毎日のドラマにあんなに心打たれ話されているんだろうと思いました。
「今日さ,全員達成3回もできちゃった!」
「やりますね。僕のクラスは連続5回の記録に挑戦中ですよ。」
「負けられませんね。」
「ははは、」
そんな,会話の職員室は僕にとって岡崎先生にいれていただく自慢のコーヒーと同じぐらい,ホッとする時間になっていました。
『学び合い』の話は日々尽きません。なぜなら,子どもたちの成長の喜びと同じくらい課題も見えてくるからです。
梅雨に入り,雨の昼休みの学校は校舎はとても騒がしくなっていました。
廊下で走る子を叱っている先生の声が聞こえていました。
そんな昼休み5時間目の課題の道徳の準備のために職員室に降りると岡崎先生が暗い顔で書類の束を見ていました。
「ねえ,この前のQUの結果が戻ってきたの。見て。」
「え?あ,あのアンケートみたいのですか?」
「そう,ほら傑くん見て,要支援群に一人・・・・」
「えーっと」僕も自分のクラスのデータを探し出してみました。
「先生のクラスすごいね。みんな満足群にはいっているじゃない。」
「えっ,見方が・・・」
「QUってクラスの満足度を測る調査なの。この十字のグラフの上にいる子が自分は活躍できてるとか,みんなに認められてるとか思っている子で,この左にいるのがクラスの子から嫌なことをされていると感じてる子なのよ。」
「傑くんってわかる。」
「ええ,あのちっちゃくて眉毛が八の字の先生のそばによくいる子ですよね。」
「あの子ね,きっと私のそばでしか安心できないんじゃないかな。」
「そうなんですか。」
「『学び合い』やってても「わかりません。」「できません。」「いやだ。」の連発で,みんなから逃げるから一人の時間が多いんだけど,それでも女の子たちがさ,「大丈夫?」とか「説明しようか」とか言ってあげてるんだけどね。」
「難しそうですね。」
「私は,今までなにを見てたんだろね。」
ずっとずっと先輩の先生が,こんなに悩まれてる。僕は,職員室のどの先生より素敵に見えました。
グラフの左下の彼のデータを見て言われました。
「なにが「一人も見捨てない」だ,一人ぼっちで一番隅っこにいるじゃない。おいってってるじゃない。」
そして,昼休みの終わりのチャイムが鳴り,掃除の音楽が始まりました。
数日後の放課後です。梅雨の最後の大雨の放課後の職員室
「今日ね。やっぱりあきらめたくなくて,
「全員80%以上とろう。」という目標をたてて算数のテストやったの。一人だけ、傑君だけが目標達成できなかったのよ。」
「えっ」
「傑くん見てたらやっぱり難しそうでね。
「しまった。さらに追い込むことになった。」と思って恐るおそる傑君の方を見てたの。」
「そしてら, いつもの眉毛八の字で「だめでした。」とポツリと言うのよ。傑君。」そしたら「えっ、見せてみて。」女の子が近づいてきてね。「あぁ、ここね。授業の時も悩んだところやね。」「もう一回てみようか。」て言ってくれてたの。他の子もやってきて。そうやって、みんなに囲まれながら問題の解き直しをしてたの。」
あの傑君の顔を私は忘れられん。傑くんね。「あぁ、そうか。そうたいね。」本当に分かった時の子どもってこんな顔するんだ。って初めて知ったきがした。」
「素敵ですね。」
「そしたらね。傑くん「先生、わかりました。」うれしそうにホワイトボードを持って見せに来るのよ。」「その後の休み時間にも学習会が続いていてね。「ね、問題出してみて。」とねだる傑君にいろんな子が問題をつくってあげていたの。」
「へー,昼休みもですか。算数苦手なのにすごいですね。」
「帰りのふりかえり日記見てくれる。」
「ぼくは小数のかけ算をがんばりました。でも、今日のテストは表が45点で僕だけ80点とれなくてとてもくやしかったので、ほじゅうの問題をしました。みんなはぼくのことをせめませんでした。「ドンマイ」とか「次はできるよ。」と声をかけてくれたので、とてもうれしかったです。今度は予習を2、3倍してテストで80点以上とりたいです。」
先生の赤ペンで一言「ありがとう傑くん。ありがとうみんな。」と書かれていました。
帰りの車の中で僕は,「自分で解決する」「わかる」,ということはどう言うことなのか,何度も考えていました。
ワイパーが激しく動くどしゃ降りの雨の中,赤信号で止まって。
岡崎先生も『学び合い』をやり方や方法じゃなく「わかった。」と思われたような気がします。借り物の知識や,やり方じゃなくて「わかる。」と言うことを傑くんと一緒にわかったのかもと思いました。